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【開院6周年を迎えて】




いや〜皆さん、兵庫県伊丹市に突如現れた「おの小児科」も開院して丸6年が過ぎましたよ。。
時が経つのは早いものですね、本当に。生まれたてから診ている子供たち、もう小学入学ですよ!中学生だった子供たちは大学生や専門学校生になっています。

はじめのうちは
「ぎゃー嫌だ〜怖い〜」
「先生、あのな〜」とか「バイバイ、またな」

とか言っていた男の子や女の子がいつくらいか

「先生、有難うございました」
「昨日くらいから咳が出ています」
「薬は錠剤でお願いします」

なんて大人顔負けの丁寧な言葉遣いをするようになりますね。

僕個人としてはいつまでも友達感覚で良いのですが、皆様のしつけの良さが功を奏して、子供たちはどんどん精神的にも肉体的にも成長していきますね。
そうした時の流れを見させていただける場でもあるのも小児科の醍醐味、その上、開院当初では想像も出来なかった数の方々を診察し治療させていただいている事も有難い事実です。

これもひとえに今まで通院してくださる皆様方のお蔭です。
6周年を迎え、改めてクリニックを代表してお礼申し上げます。

本当に有難うございます。


6周年手前で風邪をこじらせ、こうしてお礼とご挨拶をお伝えするのが遅れました。
誠に申し訳ございません。

さて、皆様もそうでしょうが、この1年間はコロナに振り回された1年間でしたね。コロナの数は表向きは減ったとはいえ、これからもそれなりの感染症対策をしながら生活する事が余儀なくされます。3密か8密か壇蜜かは知らんけど、まあ、いわゆる「当たり前」の風邪予防で十分でしょう。

僕らに見えている光景はコロナ前とさほど変化はありませんが、本当に世の中は変わってしまった。多くのお店が倒産し、多くの方々が職を失い、多くの方々が生活苦で自ら命を落としている、そんな現実が今も続いています。こうした「コロナによって変わってしまった世の中」をこれからどうやって生きていくのか、この変わってしまった世の中のまま、 子供たちに引き継いで良いのか、などなど、こんな楽観的な僕でも時にふと思い不安になる事があります。未来がどうなっていくかなんて神様以外には分からないけれど、せめて自分の家族の未来は自分たちで切り開いていきたいものですね。コロナを含め暗いニュースが多い昨今ではありますが、前を向いて上を向いて出来る事を公私関係なくどんどんやっていきたいなと思う今日この頃です。

コロナ騒動もある種のテロ、それを契機とした経済危機・・こうした不可抗力を全て政治、つまりは国や自治体(簡単に言えば議員の先生など) のせいにしてはいけないと思っています。もちろん、彼らには大きな権限や責務がある事は否めませんが、正直、全国民に対して出来る事なんて微々たるものでしょう。だって、子供に5万か10万か知らんけど、そんなお金を配る配らないですらこんなに揉めてるレベル、大きな改革や変革を今の彼らに求めるのは酷だと思います。焼け野原となった日本経済をコロナ前とは違う形で立て直す、つまりはスタートライン(海援隊にそんな歌があります、お聴きください)に戻してくれることが先決で、大きな事を自信満々に演説する政治家や政党ほど嘘くさいもんはないでしょう。つまりは個々の生活と政治はある程度切り離して考えないといけない時期なんだと個人的には思っています。もらえるもんはもらえば良いとい思いますけど、赤字の国に出来る事に限りがあるのも事実でしょう。

コロナ騒動以降、イライラしている方々が増えています。きっと僕もそうかも。そういう国民感情が背中を押している関係もあり、重箱をつついた様な報道や人様の不幸をからかい追いかけまわすようなゲスな報道が多くなっている気がしています。概して自身の身にマイナスな事が起きる、自身の思う通りに事が運ばないと、人間はそれを人様のせいにしようとする傾向があります。また、そのストレスを自己処理する事が出来ず、自身の意識を見知らぬ人様や内側(いわゆる仲間)に向け攻撃をしたりします。インターネットが発達した現代社会では如実に人の嫌な面を垣間見ることが出来、このコロナ騒動以降はより日本人の嫌な面を目にする機会が増えました。匿名での書き込み、それに対する匿名の反撃・・芸能人や要人への容赦ないバッシング・・閉塞感をこうした世界で発散しているのでしょうね、これまた悲しい現実です。

少なからず異色な小児科である医療法人おの小児科も僕を中心にある事ない事を書き込まれ、スタッフと落ち込む事もありますね。まあ、時代が時代なので仕方がないなと諦め半分、怒りや情けなさ半分かな。

僕は思います。

世の中の変調を人様のせいにすることは簡単です。政治は特に素人がギャーギャー言いやすい分野だと思われるので特に目立ちます。でもね、あまり正直、意味をなさないし、自身がむなしくなるだけだと思いますよ。自分や自分を支えてくれる方々を守れるのは自分、自身を上げるか落とすかも自分次第だと思っています。先にも書きましたが、自身が出来る事を着実にこなし、こうした戦後最悪の不況時代を自分自身で乗り越えて行く方が人として成長すると思います。頼るのは国や自治体ではなく、自分自身、僕は常にそう思っています。でないと己の成長が止まり、嫌な人間にどんどんなっていくだけ・・そう思いませんか?

僕自身に何か魅力があるわけではないけれど、クリニックの全てにおいて「筋」「道理」を通す事だけは忘れずに、自身で出来ることは全力で、助けて欲しいときは感謝の気持ちを忘れずに思いっきりスタッフを頼り、大いに助けてもらっています。こうした自身の軸がぶれないことが強いクリニックの形成には不可欠で、今後の当法人の小児医療の飛躍の加速度に影響をもたらすと開院当初から信じ続け、もがき苦しみ、そして邁進しています。少々、選挙演説の様になってしまいました。

とりあえずは読み飛ばしていただき、次回の選挙の際は清き1票を私にお願い致します(完全なる嘘です)。

皆様におかれましても日々ご自愛いただき、何かしらかお困りな症状などがありましたら、ご遠慮なく当院をご利用いただければと思います。健康は全ての源 です。そのお手伝いを全力でさせていただく想いは開院当初より一貫していますのでご安心してご利用ください。また、コロナを契機に発熱の患者さんを診察しない医療機関が増えて参りました。そこで、当院は小児科・アレルギー科ではありますが、可能な限りで大人の方だけの診察も積極的に行って参る所存です。年齢問わず、お困りな際はどんどんご利用ください。青色の診察室でお待ちしています。

6年目は悲願のクリニック初の書籍(子どもが体調悪いとき、どうしたらいいの? >>購入はこちらから)を全国発売する事が出来、今、7年目を走っています。伊丹市のみならず尼崎市、宝塚市、西宮市、川西市の方々にもご利用頂いています。ゆっくりではありますが、クリニックから遠い地域からお越しの方々が増えています。熱が長い、咳が止まらない、喘息が心配、ブツブツがひどいアレルギーかも、心臓が痛い、レントゲン撮って欲しい、血液検査して欲しい、大きな病院に紹介して欲しいなどなど、悩み事やご意見ご要望は多岐に渡ります。遠方からの方々は既に近場のクリニックに何度か行かれている関係もあるでしょう。今まで行かれた数多くの小児科とは何もかもが少しずつ違う当院に最初は戸惑われるかも知れません。

でもね、正直な事を書きましょか?

僕、僕ら、お子さんのその体調、症状、病気、悩み、絶対にどないかしますよ、マジで。

もちろん、当院だけで全て完結出来るわけはなく、多くの他の科の先生や大きな病院のお力は借りまくります。診療所診療所連携、診療所病院連携、そうしてでもお子様にとって一番良い方向性を必ずお示しします。

すこしだけ脱線、「decision making」という英語があり、僕の好きな言葉の話です。

日本語では「意思決定」と訳されますかね。字のごとく、特定の目標を達するために、複数の案から最善の解決策を決定する人間の認知行為の事を言います。この目標こそ、お子様への「良くする」医療行為、「最善の」医療判断に相当するわけです。この「decision making」の切れ味こそが、医療法人おの小児科の「強み」の一つであり、これが鈍りだしたらマイクを置いた山口百恵やキャンディーズの様に僕は聴診器と舌圧子を置きたいと思っています。残念ながら(当たり前ですが)、「decision making」だけでなく全てにおいて、まだまだ研ぎ方が甘い部分が伊丹も川西にもかなりあり、これからも毎日毎日僕はもちろんスタッフ個々も自覚を持って研ぎ澄まし、「decision making」含めた小児医療の質の向上に努めたいと思っています。
どうか皆様、応援よろしくお願い致します。どうかお友達のみんな、お手紙、お絵かきなどのプレゼントよろしく!待ってるぜ、ベイベ!

ここでもうちょいと脱線、私的な事を正直に書き、皆様にお許しを頂こうと思います。僕は日本のロックシンガーのレジェント 矢沢永吉さんのファンです。昔から好きではありましたが、ここ数年間でまあまあエスカレートし、家や院長室には色々なグッズがあり、車では絶えず彼の曲かライブ映像が流れています。分かっているのかいないのか分からない息子(小4)を連れて2年前は大阪城のライブに行きました。先に書きましたコロナ騒動の影響は音楽シーンにも大打撃を与え、矢沢永吉さんの音楽活動にも支障が出ました。昨年のコンサートはもちろん中止、もっぱらYOUTUBE配信や有料配信で過去のライブ映像を見る日々でした。僕たちファンも辛かったですが、恐らくアーティストの方々の方が何倍も苦しい思いをされたのではないでしょうか。
矢沢永吉さんも少なからずそのお一人だったと想像します。

そんな中、「2021年秋、矢沢、ライブやります」との発表がなされ、ファンの交流サイトは騒がしくなり一気に盛り上がりを見せました。発表された際はまだ関東で毎日何千人かのコロナ陽性の方がいた時で本当にコンサートなんか出来るのかな・・と不安に思っていました。それは今回のコンサートのMCでも矢沢さんご本人もおっしゃっていた事、やる側の皆さんも不安との戦いだったんだなと思います。

話を戻します。ライブが発表になり、しばらくすると特設サイトが立ち上がり、そして公演場所と日時が発表となりました。10月の金沢をスタートし12月の横浜で終了、全31公演、小さな地方のホールから大阪城ホールや横浜アリーナ、聖地である日本武道館まで、3か月かけてのライブツアーです。矢沢さんのご年齢は72歳、まあ・・・正直、超人ですわ、実物もしかり声量もしかり。。裏での努力は想像を絶するものなんだと思うと同時に、プロってこうあるべきなんだなあと教わることも多くあります。そんな矢沢永吉コンサートツアー2021ですが、コロナウイルス対策として観客動員数を削減し開催(現在は緩和され、追加募集もあります)することが発表され、予想通りのチケット争奪戦となりました。極力仕事に影響が出ない日程のチケットを応募しては落選の連続・・それも全てファンクラブ優先での募集・・ここまでコンサートチケットをゲット出来ない事は今までありませんでしたね。毎回毎回携帯で応募し、土曜日の20時の当落を携帯メールで確認し落選で落ち込む・・そんな日々が続きました。しかし、そんな苦戦の中で何とか数公演のチケットを手に入れることが出来、僕は奈良公演から参加し、尼崎、神戸公演と観てきました。

次は仙台公演、広島公演への参加と続いていきます。尼崎と仙台公演はどうしても診療時間と重なってしまい、私的な理由でクリニックを閉める事に。「私用で」とか「公務で」とか「学会で」とか医者らしい理由で休診案内を出すのも僕らしくないと思い、ご存知の方もいらっしゃると思いますが、「矢沢永吉コンサートの為に休診です」と正直にアナウンスすることとしました。理由はどうであれ、休診は休診、ご迷惑をお掛けしますが、どうかお許しください。

「こじつけやんけ」と言われるかも知れませんが、僕は今回、矢沢永吉さんのコンサートを通して自身のインプットを増やそうとしています。このインプットされた「何か」は僕の中で咀嚼され胃袋に落とし込み、最終的には皆様へ必ず「アウトプット」します。

医療とエンターテイメントいう形で。

どんな仕事もそうですが、自身にインプットされたものが飽和状態でない限り、優れたアウトプットは出来ません。これは医者なら医学書や論文を読む、先輩の医者の見学をする、いっぱい手術をして経験を積めばいいやんという単純な話ではありません。医者であると同時に社会人・経営者としての自身の中身を枯渇させない為に、どういった手段を用いて自分の瓶に水を貯えるかという話です。僕は外科医でもなければ勤務医でもない、研究者でもなければ学位や論文を好む医者でもありません。兵庫県伊丹市と兵庫県川西市で小児科、アレルギー科を運営する経営者兼医師です。
そうした立場で医学的な知識や経験だけをインプットしても不十分なわけで、ありとあらゆるアンテナを張り医学以外のインプットを自身に入れ込むわけです。

コロナの影響で海外に行くことも出来ず、僕の最大のインプットを生み出すバンコクに降り立つことは今のところ叶っていません。そんな中、絶えず自分の支えとなっている万年筆、ジェットスキーにロック界のレジェンドをかなりな割合で加えたわけです。彼の生き方、考え方、立ち振る舞いなどは彼自身のものです。コンサートや書籍、CD、DVDなどでしか彼を感じる事は出来ませんが、そこから得る「何か」を自分のモノに変化させ、自分の動力源にしたいと本気で考えています。いわゆる矢沢の「追っかけ」と化しましたので、引き続き皆様にはご迷惑をお掛けしますがどうかお許しください。

さてさて、どんな7年目となるでしょうかね。果たして阪神タイガースは優勝出来るでしょうか?新庄率いる日本ハムも気になります。もちろんコロナも経済も・・

色々気になる7年目、当院は今まで通り走り続けるだけですが走り続ける事は意外と難しい。僕らサイドの話ですが、業務拡大に伴うスタッフ募集、スタッフ教育など色々な課題に頭が痛い現状もあります。そんな医療法人おの小児科ではありますが・・・

皆様へやると決め、宣言したことはとことんやります。

逆にやらんと決めた事は最初から絶対にやりません。もっとファジーに・・というご指摘も各方面から頂戴しますが、どうしても天邪鬼な僕自身が許すことが出来ず、不器用な小児科としてこれからも時を重ねていくのだと想像しています。

最後に・・・

僕ら医療法人おの小児科は、法人の理念(モットー)「全ては子供たちのために」、これを共通言語として共有し成長できるスタッフ以外は必要としていません。幸いですが、現時点でこのモットーを共有できないスタッフは現在雇用していませんので、同じ方向(ベクトル)を向いて皆が協力しながら成長できる職場環境をより整えていきたいと思っています。それが最終的には皆様のお子様にとってプラスに働くと信じているから。

これからもスタッフと共に皆様のお子様の健康のサポートを全力で行って参ります。
匿名でない叱咤激励、時には褒めて伸ばして・・くださると有難いです。

7年目もどうかよろしくお願い致します。

令和3年11月17日
EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2021
「I'm back!!〜ROCKは止まらない〜」
開演前の会場にて

医療法人おの小児科 理事長
小野 英一



【開院5周年を迎えて】

開院5周年の動画はこちら

皆様、こんにちは!ホームページをご覧頂き有難うございます。医療法人おの小児科の小野英一です。よく大野とか栄一と間違えられますが、小野英一ですのでよろしくお願いいたします。どうでも良いミニ情報でした。

さて、昨今、コロナ、コロナ、コロナな毎日となり、世の中が一気に変化しましたね。見えている景色は同じでも本当に世界は変わってしまった、それも悪い意味で。そんな中、皆様におかれましても、マスクや手洗い、消毒、うがいなどなど大切だとは分かっていながらも、毎日の事となるといい加減、嫌気が差してきていると思います。少なくとも医療者である僕でさえ、毎日の儀式のようなマスク、手洗い、消毒などなどには疲れ果てています。でもこれが「新しい生活様式」ってやつなんですよね、パンツとマスクは同レベル・・大変な世の中になりました。皆さん、ほんまにどうしましょう・・・かね。。

日本のみならず諸外国でもまだコロナの終息の目途が立たず、ご存じの通り、国際線の飛行機は未だほとんど飛んでいないのが現状、霧よりも濃い色の「暗黒」に近い雰囲気そして現実が僕たちの周りを包み込み、前に進みたくても思うように進めない、そんな毎日だとお察しします。子供の頃、父親と「日本沈没」という映画をみた記憶があります。内容は忘れましたが、コロナ騒動が大問題となってから、この「日本沈没」の4文字が時に頭をよぎりますね。皆さんは今のこの日々、日本の行く末、世界の行く末、どうお感じでしょうか?ちゃんとした住みやすい幸せな世界を子供たちに残すことが出来るのか、一庶民ではありますが心配しています。

小池都知事の名言「With コロナ」からでしょうか、日本にしてはハイペースで規制が緩和され、昨今のキャンペーン、GO TO何とかで街や観光地には少しは人が戻って来ている様ですね。最近はGO TO商店街 とかいう制度も耳にすることがあり、何でもかんでもGO TOと言えば良いってもんじゃないのに・・とやはり日本のお気楽体質にはさほど変化がないのよねえと少々呆れています。逆に、ここまでGO TOというなら、全ての業種にGO TOを付けてあげるべきでしょうが、日本の財政からして限界ってものがあるでしょうね。GO TO クリニック、GO TO 小児科も是非とも国をあげて発信してほしいものです。ここで話は脱線しますが、僕としては、ここを「GO TO」とせず、「GO GO」にして郷ひろみや若林豪を全面に出すべきではなかったかと思っています。僕が政治家ならそうしますね。その方が絶対に盛り上がります。デジタル庁という何だか謎めいた省庁が出来ましたが、エンタメ庁の方が国のためになる気がしますけどね〜かなり多くのエンタメに長けた日本人がいる訳だし。学術会議も既得権益を気にしないファンキーな方々で盛り上がるんちゃいますかね。少し毒ついておきました。

そんな「With コロナ」のもと、規制緩和された生活が始まったとしても、コロナ前の平和な世界にはもう戻れないのだろうなと冷静に感じています。そんな中、当院も例外ではなく、この5年で最大の打撃を受けました。コロナ対策での一斉休校が引き金となり、インフルエンザがほぼゼロに、そしてクリニックからは徐々に患者さんが減りました。その後の緊急事態宣言でほぼ毎日、数人の子供達にしか会うことがない日々が続きました。その間、あまりの暇さでクリニックを一時閉めた事もありましたね。一斉休校で子供たち同士が会わない、緊急事態宣言で人間同士が会わない、そんな状況下では飲食や小売り同様、私たちの様な小さなクリニックも同様の煽りを受け、一時期、経営自体がぐらつきました。経営本体の不安定さが目に見えて出てきたのは開院以来、実は初めての事でした。それだけこの数年、本当に多くの皆様方に当院は支えられて来たんだなあと感慨深くかつ感謝の気持ちでいっぱいになった次第です。

幸い、金銭面のダメージは、医療を支えてくれる基金や銀行のご協力もあり、コロナ関連の追加融資を受け、今、こうして立ち続けています。いや、立ち続ける必要があるからより重いものを背負った と申し上げた方がかっこいいかもしれませんな。

月日は流れ、ここ最近は急な寒さの影響もあり、体調を崩す子供たちもやや増え、インフルエンザ予防接種の時期も重なり、それなりにワイワイガヤガヤした本来の当院のあるべき姿が戻りつつあるのかなと思っています。そんな中、何とか、令和2年11月2日で当院は5周年を迎えました。常に前へ前へ、常に新しい事、為になる事、面白い事、くだらないことを追求してきた5年間 だったと思います。ただ、先に書きました通り、今年に関してはコロナに振り回され、当院の真骨頂である「独創的な〇〇」「無二の○○」を生み出し発信する力がありませんでした。それは精神的にも肉体的にも、そして金銭的にもです。嫌だったけれど、必然的に立ち止まらざるを得ない5年目でした。さすがに世界情勢、日本の情勢に逆らえるほどの体力がクリニックにはまだ備わっていません。これは今後の課題でもありますが、前に前に進むと共に、リスク管理などの観点から立ち止まる事も大切 だとも教わった気がしています。

今後、この世の中がどのような方向に向いていくのかは分からないけれど、

「おの小児科があって良かった」
「おの小児科に行ってよかった」
「おの小児科なら何とかしてくれるわ」
「あそこ、行きやすいわ、楽しいわ、くだらないわ」
「とりあえず小野んとこに相談してみるわ」
などなど

の僕たちにとっての誉め言葉が1つでもある限り、5周年以降も立ち続けていきたいと思っています。また少し脱線しますが、日本のロック界のレジェンド矢沢永吉は今年で71歳、オンライン配信、バラードベストアルバムを発売するなど、脅威の若さでまだ現場バリバリやっています。あの反骨精神や信念そしてカッコよさを保てるなら、彼の背中を見ながらできる限り現場に居続けようかと思ってみたりもしています。まあ、次元が違う話ですが、僕の憧れの大人の1人です。まあ、長く仕事を現場でし続けると、僕の診察室の椅子は介護用ベット(リースのフランスベットの予定です)になっているかも知れません。志村けん扮する医者と皆さん演じる加藤茶のコントのような診療が繰り広げられる気がします。が、それはそれで当院らしくていいんちゃうか、なんてスタッフと話したりもしています。くだらない話でした、戻しましょう。

この5年が短かったか、長かったか、自問自答すること、聞かれることがありますが、正直、答えが出ません。きっと自分がクリニックを閉めるときにこうした時の流れの遅い早いに答えが出るのではないでしょうかね。昔、「刑事貴族」で水谷豊が演じる本城慎太郎刑事が似たような事を言っていました。「刑事ってもんはさ〜やめた時に自分に合ってたか合ってなかったか分かるんじゃないかな〜」と鳥越マリ扮する芝夏美刑事に。それに似ているかな、違うか・・マニアックすぎたな。詳しくは刑事貴族UそしてVのDVDをご覧ください。

唯一言えることは、5年経てど、自分が思うクリニック像にはまだまだ到達していない、という点だけでしょうか。見た目ではお分かりにならないとは思いますが、僕が勤務する伊丹も北尾院長率いる川西もどちらも課題が山盛り、僕自身、イライラと焦りと何か分からない力で時に押しつぶされそうになります。その課題は多岐に渡っていて、ここで書き切れえる内容ではないけれど、スタッフ同士の連携やクリニックの雰囲気作りという基本中の基本はもとより、伊丹は特に開院前や開院1年目のギラギラした感じ(心の)を再び持ち、このクリニックを世界に誇れる小児科に仕上げたいと本気で考えています。安定したからって変に満足したり、あぐらをかいてのんびり〜なんかしたくはないし性に合わない。川西は2年目も1年目同様、猪突猛進、とにかく突き進むのみです。彼らには一瞬たりとも立ち止まるではないぞとだけ伝えたいと思っています。勿論、疲れたらブレイク、これは伊丹も川西も同じです。要は「塩梅」の大切さをスタッフには伝え続けていきたいと思います。

最後になりますが、僕は思うんです。小児科は子供達の総合窓口 だと。ご自身のお子さんが何かしらかで体調が悪い、何かしらかの悩みが出てきた、何か不安だ・・でもどこに行けばよいか分からない。耳鼻科?皮膚科?心療内科?整形?形成????診療科がかなり増えた今の時代、そういう場合が多いのではないでしょうか。実際、色々なクリニックや施設、違う科を転々とされてから当院にたどり着く方々が大勢いらっしゃいます。他の小児科クリニックのことや科のことは存じ上げませんが、当院は「何でもOK、遠慮は無用、敷居ゼロ」の小児科 です。お困りの際は何でも対応しますので、今後ともクセの強い小児科ではありますがご利用いただけると嬉しいです。

小児科医や小児科クリニックと聞くとある種のイメージがすでに出来上がっていると思います。優しくて、穏やかで、ゆっくりとした優しい時間が流れ・・そんなイメージではないかな〜と僕は思っています。
しかし、僕が思う小児科医や小児科クリニックはそのようなイメージではないため、多くの方々に戸惑いや時には不快感、不満、怒りを与えてしまったことも事実です。そのように思わせてしまった時点で当院としては遺憾ではありますが、力不足としか言いようがありません。ご気分を害した皆様、本当に申し訳ございませんでした。

ネットの話をしたくはない(匿名で卑怯だから)のですが、時には「適当だ」などとご批判を頂戴することもあります。また、「子供がそのまま大人になったような医者」「あからさまに嫌な顔をする」「お勧めしたくない小児科」などなど、色々お好きなように書き込まれるものです。実は中には僕にとってはプラスの意味で捉えてしまう低評価もあり、人それぞれの物の見方、いわゆるパラダイムって面白いものだなあと感心すると同時に、毎回思うのですが匿名での好き勝手な書き込みに呆れてしまう自分も相変わらず存在します。こうした匿名の卑怯な書き込みは全国、世界中で行われているわけですが、是非、デジタル庁が取り締まってくれるとうれしいのですがね。。こうしたマイナスな書き込みがあるたびに、スタッフはショックを受け、どうにか改善しなければ・・と焦る様です。もちろん、当院に非がある場合は真摯に受け止め、改めなくてはいけません。

しかし、当院のスタイルや僕の仕事観や価値観を変えてまで、こうしたご批判に対して対応する気は全くありません。
それは何故か。答えは簡単、僕の診療やこのクリニックを良しとしてくれる多くの皆様がより快適にご利用頂けるためにどうしていくかを真剣に考え、前に進むことが一番大切だと思っている からです。ご批判はご批判として目を通しますが、その中で根も葉もない目に余るような内容に関しましては申し訳ないのですが、匿名でもありますし、かつ感情的な内容が多いためスルーさせていただいています。動画でも再三お伝えしていますが、何かおっしゃりたい事がありましたら、ご身分を明かし、正々堂々とご発言ください。それに対しましては、内容にもよりますが当院も真摯に受け止めさせていただきます。

これからも医療法人おの小児科のスタイルを崩すことなく、より多くの皆様方に愛されるクリニック作りに邁進していと思っています。当院が地域で、関西で、日本で、世界でナンバー1だとは公言しませんし、まだまだ低レベルな仕上がりです。が、「そうあるべきだ」「そうありたい」と思わないとより良いクリニックは出来上がらないと思います。そうした意味でも叱咤激励は大歓迎、今後とも敷居ゼロ、エンターテインメント付き小児科を是非かわいがってあげてください。本当に5年間、有難うございました。そして今後ともよろしくお願いいたします。まだまだ走り続けます。

令和2年11月2日
矢沢永吉バラードベスト「standard」を聴きながら

医療法人おの小児科 CEO
小野 英一



【開院4周年を迎えて】




 新しい時代の幕開けの令和元年、その年の11月2日で当院は開院4周年を迎えました。 この1年間も本当に多くの子供たち、保護者の皆様、ご家族の皆様にご利用いただき、 有難うございました、 そしてこれからもよろしくお願い致します。 毎回書くのですが、こんな癖のある小児科医に付き合ってくれて本当に感謝という言葉しか思い浮かびません。 重ねてお礼申し上げます。

 4年目のクリニックのスローガンは「攻楽(こうらく)」でした。攻めて楽しむ、攻めて楽をする、楽しむために攻める、楽するために攻める、です。 楽(らく)というとサボっているイメージがあると思いますが、 少々ニュアンスが違います。僕もスタッフも皆様も「苦」より「楽(らく)」が良いわけで、 今現状でやや「苦」な物を少し攻めの体制をもってして 「楽」へ変化させたいなという意味合いでした。 この攻めるがいわゆる「静」から再び「動」へシフトする、それが当院の4年目の目標でした。 このスローガンを抱え、この1年間、僕もスタッフも走り続けてきました。年齢のせいにはしたくないので年齢は関係ないと思いますが、 時には疲れ、時には息切れがし、時にはストレスも抱えました。そうした圧が自分やスタッフにかかった1年だと思っています。 皆様への感謝と共に、僕を支えたスタッフにも感謝したいと思います。有難う、そしてこれからもよろしく!自分の事を「おじさん」「おばさん」と言わないようにね。 そう自分で言った瞬間からどんどん老け込みます。僕は永遠のお兄さん、スタッフの皆様は永遠のお姉様でこれからも子供たちの為に全力を注ぎましょう。

 4年目の1年間はあっという間でした。「攻楽」を掲げ走り出すと、当たり前ですが、守りを捨て、攻めに転じ動き出すと言うことに繋がります。 つまりは1日24時間では物理的に足らないわけです。だからといって残業はしない、晩酌は必ずする、休日出勤はしない、趣味は趣味として楽しむ、 そういう自分のスタイルは全く崩しませんでしたので、そりゃ時間が足らないのは当たり前田のクラッカーですね。 その分、優秀なスタッフが両脇を固めてくれてクリニックの基盤を支え続けてくれました。 揺るぎない一貫性を持ったクリニックの基盤があるからこそ、僕のような謎めいた小児科医の居場所が確保されるのだと思いますし、 多少の僕の思いつきや暴走にも崩れる事なく耐え忍んだのだと思っています。 その「攻楽」と「全てはこどもたちのために」という理念の融合で誕生したのが川西おの小児科・アレルギー科(川西市出在家)です。 この1年間で当院が生み出した物はこの新しいクリニックだけではありませんが、この新しいクリニックにも医療法人としての理念、子供たちへの思い、 保護者の皆様やご家族への思いを詰め込んだつもりです。おの小児科同様、川西おの小児科・アレルギー科も宜しくお願い致します。

 勿論、毎回このご挨拶で申し上げますが、今がクリニックの完成形ではありません。僕の中では5割弱、まだまだ課題や実現可能な事が山ほどあります。 内輪の話を少ししますが、各スタッフの意識の差、向上心の差、技術や経験の差も大きな課題です。 他のクリニックの事は知りませんが、もっともっと働きやすい風通しの職場作りも必要だと痛感しています。 こうした事のベクトルが揃うことが一番大切で、おの小児科にとって大きな力となり、最終的には子供たちへの最高のパフォーマンスに繋がると開業当初から思っています。 「全てはこどもたちのために」を理念とし、当院はこれからもマグロやハマチの様に勢いよく泳ぎたい。 当たり前ですが、立ち止まることも大切です。が、当院は立ち止まる時間を極力短くし、立ち止まった際の問題処理能力を可能なまでに高め、 直ぐに再び泳ぎ出せる様にしていきたいと常日頃から思っています。 立ち止まる事が子供たちに有益に働くとは考えていないし、何でもいいから新しい何かを生むこと、見せることが当院の真骨頂、 他のクリニックが真似できない財産だと僕は思っています。 そう言いながら、走りすぎて僕自身は一回倒れました、あれは、ある日の昼下がりでした。 でも、それだけ自分に負荷をかける事が事業の成功には必要不可欠で、自分が倒れた事は今思うと致し方がなかったのだと受け入れています。 あれから数年が経過しましたが、今も自分の精神、心と向き合い仲良く付き合っているつもりです。 今後、倒れてしまっては意味がないですし、結局、子供たちに迷惑を掛けるわけですから。 自分、スタッフの精神、心も大切にしながら、ベストな状態で自由に泳いでいきたいです。

 これはネタバレになるのであまり書きたくないのですが、保護者の皆さんの「期待感」を必ず上回る「満足感」をご提供する事がクリニックの最低条件だと教わり続けています。 短い診察時間の中で皆さんのご不安やご希望、ご期待などをいかにキャッチ出来るか、そしてその全てを解決しご満足いただけるか。 それがクリックとしての腕の見せ所で、当院がどこにも負けないと自負している点でもあります。 自信過剰!!なんてご批判もあるでしょうし、おの小児科大嫌い!なんて方々もいらっしゃるとは思いますが、自分が作り上げたクリニックをナンバー1だと思わない院長はダメだと思いますね。 謙虚な姿勢は大切ではありますが、自分が作った医療法人おの小児科、川西おの小児科・アレルギー科はナンバー1でなくてはいけない、 そうあるべきクリニックだと自分に言い聞かせ精進して参ります。繰り返しになりますが、5年目もよろしくお願い致します。

 今、原稿を書きながら、この4年目の1年間の手帳を眺めています。僕はこの数年同じシステム手帳(アシュフォード HB×WA5)を使っていて、 毎日、何かしらかを書いたり、 思いついた案も全てメモしています。最近は携帯で撮った写真をプリントアウトして手帳に貼ったり、 雑貨屋さんや文具屋さんで手帳用のシールを集めたりしています。 普通の女子より女子力の高い手帳ライフを過ごしていますわよ。色々と書き込んだ手帳から新しい事をクリニックに取り入れたり、経営の軸がぶれないよう軌道修正なども行っています。 僕の秘書代わりがシステム手帳は今、4冊に増えました。雑記のノートを含めると5冊を駆使してクリニックを運営しています。 その手帳の過去のリフィルを見るとこの1年間が見えてくるし、次の1年間をどうすべきかの課題が見えてきます。 携帯電話の主流がスマホに変わり、多くの方々がスマホに情報を入れていると想像します。 僕もかなりの多くのガジェットを持っていますが、それらに何の情報も入れていません。全て手帳に記録しているか貼り付けています。 まあ、天邪鬼なので、ガジェットは大好きですが基本信用してないんですよね。さて、そんな手帳を片手に話を続けます。

 4年目の大きな変化と言えば、当院が開院3年目の法人化と同時に川西の小児科プロジェクトを動かしたことでしょうか。 より多くの子供たちに当院の医療を届けたい、小児科=行きたくない場所、小児科=どこも同じやろ、という誤解を解きたい、そういう願いもあり、一気に川西の小児科を立ち上げることを決めました。 個人であろうが、法人であろうが、提供する医療には何ら変わりはなく、見た目は同じです。 伊丹も川西も屋号や見た目、スタッフ、担当医は違うけれど、医療法人といういわゆるチームが作り上げている事には変わりありません。 代表である僕が思う、「楽しい、面白い、頼りになる、なんだかくだらない」、そんなエンターテイメント小児科を是非、これからも伊丹、川西関係なくご利用ください。 僕自身、先生とか院長とか言われるようなキャラでもないし、 自覚も薄いのですが、そこへナント「理事長」という肩書を法人になり頂戴しています。 そう、僕、理事長先生なんです!何だか自分で笑ってしまいました。 世の中にこんな理事長が居ていいんかいなと思いますが、 まあ、それがOKなのが「おの小児科」なんだなと思っています。この前、調子にの乗って、名刺の肩書きを院長 理事長 兼 CEO にしてみました。 ただ単にCEOってかっこええやん、みたいなノリだけですけど。そんなノリが大好きで、余談ですが、当院にはCOOが2名いますわ。 笑かすでしょ?まあ、そんなワチャワチャしたクリニックです。敷居ゼロですので、身構えることなくお越しください。 お子さんの事なら何でもOK、お子さんやお孫さんとご一緒でしたら大人の方の診察もさせて頂きます。子供の事で何科に行こうか悩まれることでしょう。 皆さん、小児科は子供たちの総合窓口です。勿論、小児科で対応できない事は山ほどありますが、何科に行けば良いのかも含め、最初は全て小児科が対応します。 少なくとも当院はそうしたスタンスですので、ご遠慮なく、色々思い悩むことなく先ずはお子さんをお連れください。それから一緒に考えましょう。

 医療法人おの小児科の4年目は「攻楽」と言いながら、まあまあ「攻苦」な1年でした。 新しい物を生む苦しみと言うのはどんな事業でもありますが、それを嫌と言うほど味わった1年だったと思います。 幸い当院を開院させた時は僕と経営コンサルタントの2人だけでしたが、この1年は頼りに出来る優秀なスタッフが増えた為、僕が苦しかったというより、彼女たちが大変だったと思います。 自分たちが作り出した物がある程度、軌道に乗った段階で少し休んでもらおうかなと思っています。 だって、まだまだ先は見えていないし、見えてない先の光を探して泳いでもらわないといけないので。 これからもストライクは投げません。型にはまった野球はしません。2アウトでスクイズ、最高です!そんな野球をやりたいです。 他に例えるなら、1+1=2の小児科作りなんて絶対にしませんという事でしょうか。多くのアンテナを張り巡らせ、子供たちが少しでも笑顔になれる小児科を作って参ります。 癖のあるクリニックですが、年数と共に年期が入り、癖は「アジ」へと変化していきます。 普通は普通のまま、安定は安定のままか下降あるのみ、当院は「アジ」のあるクリニックを目指すべく、他のクリニックの反対方向を向いて泳ぎ続けます。

脱線ついでに

平成30年11月2日
 医療法人おの小児科3周年 オリジナル診察券を配布

平成30年11月15日
 紅白歌歌合戦の出場歌手が決まりました。和田アキ子さんは出ませんでした。「あの鐘を鳴らすのは」誰なんでしょう?

平成30年11月30日
 ロスモーターショーで新型アクセラ披露、ディーゼル1.8のパワーダウンの噂に衝撃を受けました。(実際、1.8しか発売されませんでした)

 年末年始は家族でバンコクで過ごしました(行きの飛行機でドクターコールがありタイ国際航空の機内で少し仕事しました)

平成31年1月〜2月
 息子とラジコンで遊ぶ週末が続きました。海外の大型ラジコンを購入、よく壊れるので修理の日々でした。でも、ラジコンは面白いです。

平成31年2月4日
 待合室にロープウェイが登場しました。国内の最後の在庫です。

平成31年3月8日
 雑誌の取材を受けましたが、掲載記事の内容が気に入らず辞退しました。人様に思いを伝えるのは難しい事です。

平成31年3月16日
 ジェットスキー プロショップ 「PAL-UP」、台風被害から復活、一番嬉しかった出来事でした。

平成31年4月1日
 新元号「令和」と発表、その後、パロディーグッズの販売が相次ぎました。敢えて買いませんでした、令和Tシャツ・・

平成31年4月6日
 イタリアの車を買いました(妻には呆れられました)。その車で金沢の学会に出掛けました。

令和元年5月1日
 実は4月29日から5月6日までバンコクに小学生2人を連れて行っていました。令和元年という記念すべき日はプール三昧でした。すみません。

令和元年6月19日
 ジェットスキーでの釣り、垂水沖、水深18mで鯛二匹釣り上げました

令和元年6月〜
 おの小児科オリジナルうちわ 配布開始(2色展開)

令和元年7月9日
 優秀なスタッフの退職、記念品と「大空と大地の中で」(松山千春)の歌のプレゼント(6月20日送別会)

令和元年7月17日
 川西おの小児科・アレルギー科のTUKTUK納車、そのまま最終整備に

令和元年7月31日
 高校生の長女と初めて別々のジェットスキーで須磨へ行きました。免許を取らせて良かったです。

 夏休みは高知県に行きました。よさこい祭りと同じ日で凄い人でした。やはりカツオは美味しいですね。でも塩では食べません。ポン酢大好き人間なんで。

令和元年8月30年
 新しいドローンを買いました。クリニックの水槽上に阪急大阪梅田駅のジオラマが仲間入りしました。

令和元年9月25日〜28日
 天草へ自分探しのジェットスキー旅、2日目の早朝、自分のジェットスキーが沈没しているのを発見しました。

令和元年10月12日
 医療法人おの小児科 壮行会(伊丹シティホテル)、「ねるとん紅鯨団」の様に名札を付けて会食しました。タカさんチェックはありませんでした。

令和元年10月20日
 川西おの小児科・アレルギー科内覧会(300人ご来場)、カオスでシュールな催しとなりました。

令和元年11月1日
 川西おの小児科・アレルギー科 開院

令和元年11月2日
 医療法人おの小児科4周年

 そしてそして、例年通り、強迫行為の様にYOUTUBE動画を作り続けた1年、開院から数えると500動画を超えました。 8割がカラオケ大会みたいな感じになり、最近はこの12月にコンサートに行く矢沢永吉さんの歌ばかり歌いました。 川西の内覧会でもカオスな感じで一曲披露いたしましたよ。また動画、あげておきます。何故かチャンネル登録のえげつなく少ない当院のYOUTUBE、ちょっとくだらないものからかなりくだらないものまで・・お暇な際にご覧ください。 全ては当院の敷居を下げるため、初めてお越しになる皆様に事前に僕の顔と声を知って頂くため、 そして診察室だけでは説明しきれない病気などの説明等にと多岐に渡る目的で動画を配信しています。 これからもインチキユーチューバ―(広告収入0円)として活動して参りますので応援よろしくお願い致します。 ご存知の通り、他のSNS、各種ブログでも多くの情報を発信しています。 特にLINEからのメッセージ配信は比較的大切なお知らせがメインですので、是非ともお友達登録宜しくお願い致します。

 さあ、5年目はどんな事が待っているのでしょうかね〜より多くの子供たちに当院を見て欲しいし、 どんどん良くなっていく子供たちを見るのも嬉しいです。 勿論、具合の悪い子を可能な限り早い段階で見つけ出し、最短のコースで良くする、 大きな病院で良くしてもらう事にも神経を集中させたいと思っています。 これは毎年申し上げている事ですので文言を変えずに掲載しておきます。と同時に、スタッフなど内部組織を引き締め、 ルールをルールとして再認識させ、ホスピタリティーとは何か、医療、特に当院の医療サービスとは何かを個人個人に確認、認識して欲しいと願っています。 これも昨年と同じ内容で掲載しておきます。組織が強くなければ、組織の中の風通しが良くなければ、良い医療なんて提供できない。 スタッフ自身、自分たちの意識を内側に向けず、絶えず子供たち、お母さん、お父さん方の方へ向けて欲しい、そう願って止みません。 ちゃんと読んでるかい?スタッフの皆さん!自分たちの成長が来てくれる皆さんへ還元されると言うことを忘れないで欲しい。 すみません、スタッフへの叱咤激励でした。

 さて、再び動き出した医療法人おの小児科は 頼りになる、安心できる、納得できる、何とかしてくれる、どこか楽しい、どこかくだらない、 時にサプライズ、一巡して「やっぱ、おの小児科だよね」「おの先生良いよね!(もとい、格好いいよね!)」「きたお先生、優しいし良いよね!」「スタッフの皆さん、優しいし丁寧だよね」と言われる様、 日々精進して参ります。 引き続き、けったいな小児科、癖のある「おの先生」、穏やかな「きたお先生」、明るく元気で優しい「スタッフ一同」をよろしくお願い致します。

 さ、仕事に趣味に頑張ります!趣味が仕事に繋がる恵まれた仕事です。どんどん遊んでどんどん仕事に活かしていこうと思っています。

 とりあえず冬もジェットスキー乗りまっせ〜欲しい万年筆はあれば買いますよ〜バンコクにも遊びに行くよ〜そんな令和元年11月の僕です。

医療法人 おの小児科
CEO 小野 英一



【開院3周年を迎えて】




平成最後の年、平成30年11月2日で当院は開院3周年を迎えました。本当に多くの子供たち、保護者の皆様、ご家族の皆様にご利用いただき、 感謝以外、言葉が見当たりません。本当に皆様、こんな風変わりな小児科に通って頂き有難うございます。 そして、こんな癖のある小児科医に付き合ってくれて有難うございます。 3年という月日が速いか遅いかは自分では分からないけれど、何となくクリニックの「形」は出来つつあるのかなと思います。 勿論、完成形ではなく、課題や実現可能な夢はあります。「全てはこどもたちのために」を理念とし当院は走り始め、僕自身はオーバーヒートの為、 一回倒れました。それだけ自分に負荷をかける事が個人事業の成功には必要不可欠で、自分が倒れた事は今思うと致し方がなかったのだと受け入れています。

有難い事に開院当初より多くの皆様にご利用いただき、時には色々なご指摘を頂戴しながら、僕もスタッフも成長し今にいたします。 経営サイドとしての話にはなりますが、まだまだ接遇の向上も必要だし、スタッフ間の連携も甘い。診療の流れは「上から下へ水が流れるようなスムーズさ」といつも言ってはいるものの、 初歩的な事で滞る事が多いです。これらは結局、皆様へご迷惑をお掛けする形になるわけで、これからも僕自身は勿論の事、 スタッフの教育、スタッフ間のより強固な連携を強め、当院の「強み」をより発揮していきたいなと思っています。地域に貢献するのはもちろんの事、 伊丹市、尼崎市に関わらず、可能な限り多くの子供たちが当院の空間を体感し、当院の診断治療を受けてほしい。 保護者の皆様の「期待感」を必ず上回る「満足感」をご提供する事、ご提供し続ける事が当院の使命だと思っていますし、 そう出来なくなった時点が終演なのだと思っています。繰り返しになりますが、4年目もよろしくお願い致します。

今、原稿を書きながら、この3年目の1年間の手帳を眺めています。僕はシステム手帳を使っていて、毎日、何かしらかをメモしたり、 思いついた案も全てメモしています。そこから新しい事をクリニックに取り入れたり、軌道修正なども行っています。 このクリニックを作る際も、システム手帳とノート10冊程度を駆使しました。いわば、僕の秘書代わりがシステム手帳というわけです。 その手帳の過去のリフィルを見るとこの1年間が見えてくるし、次の1年間をどうすべきかの課題が見えてくると信じています。話が脱線しました。 まあ、皆様も手帳、活用してみてください。日々の生活や育児により「ハリ」が出ると思いますよ。

さて、そんな手帳を片手に話を続けます。3年目には念願の?自己満足の?おの小児科LINEスタンプを作成しました。 一部のコアなファンの皆様には使って頂いている様で喜ばしい限りです。クリエータースタンプ「おの小児科」で検索して頂き、是非、 ゲットして日々の生活でお使いくださいね。このスタンプ作成も色々と骨が折れる作業の連続でした。 皆様もご希望があれば作成の仕方、業者はお教えしますのでおっしゃって下さい。これまた脱線しましたわ。

3年目の大きな変化と言えば、当院が法人化したということでしょうか。個人事業ではなく、医療法人  おの小児科として本格的に本年5月から稼働しています。個人であろうが、法人であろうが、提供する医療には何ら変わりはなく、見た目は同じです。 まあ、社会的な信用度が上がった、要は「箔」がついたくらいでしょうか。僕自身、先生とか院長とか言われるようなキャラでもないし、 自覚も薄いのですが、そこへナント「理事長」という肩書を頂戴しました。そう、僕、理事長先生なんです!何だか自分で笑ってしまいました。 世の中にこんな理事長が居ていいんかいなと思いますが、まあ、それが「おの小児科」なんだなと思っています。 「斉藤さんだぞ!」みたいな感じで「理事長先生だぞ!」って動画でやってみようかな。とうわけで、地域に必要と国に認められ、 医療法人という称号を頂戴した事は素直に有難い事ですし、これまた皆様に感謝です。

医療法人おの小児科の3年目は「動」か「静」で言えば「静」の1年でした。決して何もしなかったわけではないですが、 当院のスタイルからすれば大して動かなかった1年でした。その分、診療の安定化、スタッフ間の連携、スタッフへの気配り、目配り、 時にはダメ出しと、今あるクリニックを冷静に見ることが出来たかも知れません。というわけで、3周年後の4年目は少し「動」へシフトし、 また新しい「何か」を生み出して行こうと漠然とですが考えています。その漠然とした「何か」は必ず来てくれる子供たちにプラスに働くものだと 自負しています。勿論、天邪鬼ですので直球は投げません。お楽しみに〜

4年目のクリニックのスローガンは「攻楽(こうらく)」、あの有名TV番組に出てくる食堂ではありませんよ。 攻めて楽しむ、攻めて楽をする、楽しむために攻める、楽するために攻める、です。楽(らく)というとサボっているイメージがあると思いますが、 少々ニュアンスが違います。僕もスタッフも皆様も「苦」より「楽(らく)」が良いわけで、今現状でやや「苦」な物を少し攻めの体制をもってして 「楽」へ変化させたいなという意味合いです。この攻めるがいわゆる「静」から再び「動」へシフトする当院のスタンスです。

脱線ついでに

 平成29年11月23日
ダックスフンドを飼い始めました。名前は「ポンザレス」と言います。1代目は「ゴンザレス」、彼の弟子です
大好きな小室哲哉さんが引退しました、時にTMネットワークを聴いて悲しんでいます

 平成30年5月30日
42cmのアコウを六甲アイランドで釣りました

 平成30年6月12日
自分探しの旅に出ました、行先は隠岐の島でした、とても良い場所でした

 8月の夏休みは新しく出来た小児科には珍しく、1週間以上とし、小4、小1の子供と3人でタイのバンコクに旅行に行きました

 平成30年7月〜8月
おの塗り絵選手権を開催、入賞したお友達にはヘルシンキ人の「小野ヌリエスキー」からプレゼントが贈呈されました

 平成30年9月4日
台風21号で関西の湾岸は大打撃を受けました。僕の趣味、水上バイクのショップは全壊、現在、急ピッチで復興中、当院も支援しています

 平成30年10月8日
阪神タイガース最下位、金本監督が辞めました

 平成30年11月2日
おの小児科3周年


そしてそして、強迫行為の様にYOUTUBE動画を作り続けた1年、開院から数えると400動画を超えました。 くだらないものからくだらないものまで・・お暇な際にご覧ください。全ては当院の敷居を下げるため、初めてお越しになる皆様に事前に顔と声を知って頂くため、 そして診察室だけでは説明しきれない病気などの説明等にと多岐に渡る目的で動画を配信しています。 これからも隠れユーチューバ―として活動して参りますので応援よろしくお願い致します。

さあ、4年目はどんな事が待っているのでしょうか、多くの子供たちに出会えることも楽しみですし、 どんどん良くなっていく子供たちを見るのも楽しみです。勿論、具合の悪い子を可能な限り早い段階で見つけ出し、最短のコースで良くする、 大きな病院で良くしてもらう事にも神経を集中させたいと思っています。と同時にスタッフなど内部組織を引き締め、 ルールをルールとして再認識させ、ホスピタリティーとは何か、医療、特に当院の医療サービスとは何かを慣れてくる4年目だからこそ個人個人に再確認、再認識してほしいと願っています。 「静」であった3年目から4年目は「動」へ、当院の本来のスタイルである回遊魚スタイル、絶えず泳ぐ、泳がないと死んでしまう・・ のパターンで再び「攻楽」の旗を掲げて泳ぎ出します。頼りになる、安心できる、納得できる、何とかしてくれる、どこか楽しい、どこかくだらない、 時にサプライズ、一巡して「やっぱ、おの小児科だよね」「おの先生、だーいすき」とハズキルーペのCMの様に言われる様、 僕もスタッフも全力でお子様のサポートをしていきます。引き続き、けったいな小児科、癖のある「おの先生」をよろしくお願い致します。

さ、仕事に趣味に頑張ります!とりあえずジェットショップの復興を待って海に出たいな〜ドローン、もっと上手になりたいな〜

医療法人 おの小児科
小野 英一



【開院2周年を迎えて】




右も左も分からず独立を無鉄砲に計画し、2年前に小児科クリニックを開院しました。 紆余曲折し、最終的には伊丹市野間にやたらと広い駐車場を構え、院内には何故か鉄道模型が走り。。さぞかし他の小児科と比べ違和感を覚えられたと思います。 街には似顔絵入りの看板がチラホラ、SNSなどでは私生活を含め色々な方法で僕や当院を必死にアピールをした2年間でした。 とにかくクリニックという医療施設の敷居を下げたい、何でも受診していいんだと思って欲しい、そう考えて毎日を過ごしていました。

感情論にはなるかも知れませんが、勤務医であれ、開業医であれ、医療をしていると楽しい事もあれば、嫌な事もあります。患者さん側からしても同様で、誰しもが当院を褒めてくれる、評価してくれるとは限りません。 当たり前だけれど、そんな当たり前が良く分かった2年間でした。色々と発信するとレスポンスがある一方で、出る杭は打たれるとは良く言ったものです。結果、2年目のこの1年間は色々な意味で我慢の1年だった気がします。 良い事はそれなりにいっぱいありましたが、嫌な事もそれなりに山ほどあり、課題であると同時に当院の根幹を問われる問題でもありました。

業績面に限れば、同じ開業年数のクリニックと比べたら、当院は全ての面で合格点だとは思う。そうでないと意味がないと思い、実際は開業し、こうして運営しています。 しかし、正直言うと、こうした横の比較なんて大したレベルの話ではなく、まだまだ上を見ないといけないし、そのポテンシャルは当院にはあると自負しているし、実現出来るスタッフに囲まれていると思います。 同じ年数の似たような業種と仲良しこよしは性に合わない、これはビジネス以外の側面でも一貫して思っています。

ちなみに、僕はあまりスタッフに強く指示をしたり、自分のビジョンを伝えるのが苦手です。伝えたとしても伝えるべき半分も伝えてはいない気がしています。 でも、褒め過ぎかも知れませんが、スタッフの出来が半端なく、大体の僕の言いたいことや考えている事は汲んでくれています。まあ、訳のわからん医者やなとは内心思われているだろうけれど。

お陰様で、伊丹市や尼崎市という近隣のみならず、全国いや世界的にも活動的で情熱的、そしてファンキーな小児科に成長していると僕は嬉しく思っています。 それもスタッフの力、通ってくれる皆様のお陰です。感謝以外、何もありません。本当に有難うございます。

話は変わりますが、どんな職種もそうですが、事業を続けるためには経営の安定は避けて通れません。僕は医者の事しか知らないし、子供達の診療しか出来ない、そんな人間です。 が、今は勤務医の時の何倍も経営について考え、悩み、時には大きな不安を覚えます。これは経営者の宿命だけれど、可能な限り自分らしい小児科クリニックのまま、最高の安心安全な医療を子供達に提供し続けて行きたいと強く思っています。 何だかヘンテコリンな小児科ではありますが、引き続きお付き合い下さい。あそこに行けば、とりあえず何とかなるわ、と言われるのが僕への最高の褒め言葉です。 時には、適当だとか、いい加減だと揶揄されるけれど、適当は適度に当たっている、いい加減は良い加減とも取れるわけで、こうした批判的なご意見は真摯に受け止めると同時に、正直、自分らしいっちゃ自分らしいなとも思っています。

ある大学のある偉い先生が、面白くないと小児科ではない、とおっしゃっていました。当時は仕事内容は辛うじて小児科と言えど、しんどい事、つらい事ばかりで、どこがオモロイねんと思い、何が面白くないと小児科ではないやねん!、 綺麗事言うな!と憤ったものです。が、子供達を診療し数年が経過し、なーんとなく偉いさんの格言の真意を自分なりに理解しようとしています。

子供達相手の小児科で仕事するからには、あらゆるシーンでオモロイほうがいいわなと思っていて、偉いさんの真意とは別次元かも知れないけれど、少しは理解出来た気になってます。 偉い先生が作り上げる小児科医学の世界を見習い、僕は少し斜めから見てオモロイ小児科を作りたいです。

何はともあれ、伊丹市の小児科、おの小児科を末長くよろしくお願い致します。さあ、3年目も一味違う小児科を皆様にお届けしたいと思います。 お分かりの通り、子供達はたいがい嫌々、小児科を受診します。少しでもその嫌々が和らぐような仕掛けをこれからも散りばめたいと思う二周年の秋です。

本当に、本当に皆様、有難う。そしてこれからもよろしく!

おの小児科 代表
小野 英一

一年中鶏鍋を食べています。その食後のひととき、自宅マンションより皆様へ。この文章が僕の二周年の本心です。



【開院1周年を迎えて】




 皆さん、こんにちは、おの小児科の小野英一(おの えいいち)です。数あるホームページの中から当院のホームページをご覧いただき有難うございます。 日頃から当院をご利用頂いている皆さん、このホームページをご覧になっている皆さん、当院を多方面からサポートしてくださる皆さん、おの小児科は11月2日で1周年を迎えることが出来ました。廃業することなく何とか1年・・本当に有難く思っています。

 2〜3年前、勤務医としての可能性や限界などを考えるようになり、それと同時に自分のやりたい小児医療は勤務医なんかじゃ出来ないやろな〜と思うようになりました。もともと天邪鬼なので、病院という大きな組織の中の一員として働く居心地の悪さみたいな感覚はずっとありました。 ですが、未熟者の医者が卒後数年で独立出来るわけもなく、長い物に巻かれないとまともに生きていけないよね、と言った冷静な自分も居ました。それがゆえ、最後の病院勤務は同じ場所で10年以上の長期勤務となり、医長職とか言うなんか偉そうな身分に知らぬ間になっていました。 上司が不在だった1〜2年間は上層部の会議にも出席したり、小児科自体の方針を決めたりと、年齢不相応かつ場違いな自分の立ち位置に困惑した時代もありました。 40歳前後の中堅かなんかよく分からない医者が同じ病院に10年も勤めることはとても珍しい事だし、よくぞ私のような者を雇用し続けてくれたなと感謝しています。まあ、目の上のタンコブだっただろうけど。
 このままずっと勤務医で終わるんかな〜終わるんやろうな〜と何度も頭をよぎったし、別にそれでいいか、みたいな妥協もしていました。でも、せっかく医者に(まぐれで)なったのだから、少しは自分のやりたい事をやりたい様にやってもバチは当たらんよね、なんていう思いは心のどこかにずっとありました。 その思いが浮き沈みする中、思いがフッと浮いてきたときにはいつも妻に独立についてはそれとなく相談していました。すると決まって、「あなたに開業医が務まると本気で思ってるん?」「絶対やめといた方がいいわ」と実はずっと反対されていました。 自分の親に至っては医者はともかくとして、「小児科医なんて英一には無理やろ」みたいな感じだったと妻伝えに聞いたことがあります。 そう言われる度、「まあ、そうやな、俺みたいなんが開業医、しかも小児科の開業医になったって、クセがありすぎてママ受けはせんわな・・」と勤務医からの独立といういわゆるトラバーユの気持ちを抑え込んだのを今でも覚えています。
 そうした中で時は流れ、勤務医として仕事上でも個人的にも色々な事がありました。それは忘れられない子供たちにたくさん出会った、コアなファンのお母さんに出会ったなどなど良い事は沢山ありましたが、その逆に、ここでは書けない書きたくないような嫌な事も沢山経験しました。 雇われなんて嫌なこともそりゃあるわ、なんてビジネスマンには怒られるかも知れませんが、私には耐えがたいものがありましたね。今となれば懐かしいですけど。 ゆっくりゆっくりとですが、自分の勤務医としてのモチベーションが下がり、最後の最後は出勤するのがやっと・・最低限度の仕事を済ませると窓際族、論文を少し読んで、数名の患者さんを診察して再び待機、そして定時で帰宅・・みたいな生活になっていました。
 その反面、病院の周りの先生方は毎日忙しくされ、多くの同僚や上司に囲まれ最新最先端の医療を提供されていました。でも自分の今は・・・。 小児科と他の科を比べる事は大きな病院ではご法度なんだと思うけれど、どんどんと自分が取り残されていく感覚、自分だけが時の流れが穏やか、何の役にも立ってないんちゃうかという思いが強くなりました。 そんな中、再び妻に相談したところ、「どうせ反対したって、あなたやるんでしょ?」「結局、何を言ったって言う事聞かないしね」と初めて真っ向から反対はされませんでした。 決して大賛成ではなかったけれど、モチベーションがゼロの状態で毎日毎日仕事に出かける私の姿が惨めに、哀れに見えたのかも知れませんね。私としてもそんな気持ちで勤務医を続けても、外来や入院している子供たちや必死に看病している親御さんにも失礼だと思いましたしね。
 こうして私は勤務医であることを辞め、「開業奮闘記」に書かれている様な流れで、兵庫県伊丹市野間に「おの小児科」を立ち上げ、一人の開業医として心を新たに小児医療に再び取り組むことになりました。 このホームページだけではなく、動画配信、FBやLINEなどのSNS、各種ブログを運用、レターニュースの発行や四コマ漫画などを使用した分かりやすい説明用紙の作成などなど、とにかく「おの小児科」を身近に感じて欲しいと必死に色々な事に取り組みましたし、今も取り組んでいます。 また、「あれ?いつものパターンとは違うぞ」と私が疑問に思った際は、医者の勘に頼らず(刑事じゃないんだから・・)レントゲン、血液検査などの検査も積極的に行って参りました。 他の小児科の検査件数よりはかなり多いとは思います。でも、それは全て意味があり、結果、子供たちの最良の医療に繋がっていると自負しています。

   ご存知の通り、私の似顔絵が街のあちこちに看板として現れたり、多くのオリジナルグッズを製作し皆様に差し上げたり、自分自身が動画などで登場したり、伊丹小学校の夏祭りに参加したり・・などなど繰り返しにはなりますが、 より身近に「おの小児科」を感じて頂きたく、この1年、出来ることはしてきたつもりです。皆さん、如何でしたでしょうか?
 病院と言うと多かれ少なかれ「敷居が高く」感じてしまいますよね。ある程度は仕方ないとは思っていますが、私はその敷居をゼロ、いわゆるバリアフリーにしたいという思いが一貫してあります。 ハード面では広い待合室にGゲージという最大級の鉄道模型を走らせ、入り口に熱帯魚が泳ぐ大型水槽を配置し、奥のキッズスペースは森をイメージし、ドイツの珍しい壁面玩具や医院ではあまり見かけない大型TVも採用しました。 多少混雑しても、少しは待ち時間を忘れ遊んでもらえるかな、ママやパパも少しはリラックスしてお待ち頂けるかな、などと考えています。 ソフト面では受付事務や看護師、そして私と職種や立場関係なく、いかに子供たちに医療を的確に提供できるか、色々な事柄にいかに迅速に丁寧に対応できるか、いかに効率的に物事を考えることが出来るかを常のテーマとし、皆で協力し合いながら「おの小児科」を作り上げています。 正確には作り上げている途中です。ベビーマッサージやお昼寝アート撮影会、手作り市などのイベントも盛んに行って参りました。だた、認知不足なのか、ニーズがあまりないのか、なかなかご参加頂ける方々が少なく寂しく思っており、2年目以降の課題だなと思っています。

 話は変わりますが、私自身、7月の上旬のある雨の日に急に倒れました。手が震え、手足に凄い汗をかき、舌がもつれ、脱力、そしてすごい圧迫感・・立っていることが出来ず、診療中にもかかわらず救急車で運ばれてしまいました。幸い大きな病気は見当たらず、点滴中に症状はなくなりました。 結局は過労やストレス、不安からくる自律神経バランスの崩れが原因だった様です。まあまあタフだと自分の事を思っていた分、倒れたことに一番びっくりしたのは自分自身でした。要は自分自身のキャパをオーバーし、車でいうところのバッテリー上がりでのエンストだったんだと思います。 今は薬を飲みながらではありますが、無理なくボチボチやっています。大企業の社長さんなどに笑われるかも知れないけれど、やはり自営、経営には目に見えないストレスや不安が圧し掛かるものですね。開業してみて、初めて分かりました。
 人様からは「開業おめでとう」「いいよな開業医なんて」「羨ましいわ〜」などとよくよく言われます。正直、めでたいとか、うれしいとか、楽して儲かるとか、そんな感覚はこの1年間はありませんでしたね。仕事人間でもないのに、経営や仕事、雇用の問題に必死だったんだと思います。 思っているより大変で、思っているよりリスキーで、思っているより変に気を遣うし、色々な事にイライラするし・・・開業医っていいよな〜楽やろうな〜って思っていた数年前の自分が別人の様です。 まあ、その大変、リスキー、気遣い、イライラの向こうに自分がやりたい小児医療があると信じているので、今は一つずつ着実に積み重ねていこうと思っています。

 何度も発信している通り、とにかく分かりやすい説明をしたい、少なくとも自分の子供に何が起こっているのかを理解してほしい。どうして検査が必要なのか、検査の結果から何が分かり、治療がどう変わるのか、可能な限り簡単に分かって頂きたい。 小さなクリニックで出来る限界も知って欲しいけれど、その限界はクリニックによって差があり、どこの小児科も同じではないという事も分かって頂きたいと思っています。「おの小児科」は決して無理はしないけれど、出来ることは可能な限り積極的にやっていきます。 それは子供の医療のみならず、子供に関するエンタメも含めてです。それが当院の理念である「全ては子供たちのために」から派生する我々の目指すクリニック像だと私は思っています。 これからも、子供たち(てか私が)が楽しめ、喜び、時にはビックリするようなエンタメ要素満点のクリニックであると同時に、可能な限り最短で病気が治る様、最新最良の医療が提供できる様、私はじめスタッフ一同切磋琢磨して参ります。

 まだまだ1周年、されど1周年・・この1年で得た事、得られなかった事、良かった事、悪かった事などをスタッフと整理しながら、よりパワーアップした2年目、3年目でありたいと私は思っています。 これからも末永く、「おの小児科」を宜しくお願い致します。当院も今に満足することなく、小児医療の向上、小児看護の向上、受付はじめホスピタリティーの維持そして可能な限りの向上に努めて参ります。 引き続き、「おの小児科」をお気軽にご利用ください。お子さんの事なら何でもOK、悩んだらとりあえずお越しください。きっと、行って良かった、安心した、頼りになる、そして・・何故か楽しかった・・と思って頂けると確信しています。

 では、2年目以降もよろしくお願い致します。                      

おの小児科 代表
 小野 英一




TUKTUKがやってきました!


『遂に登場!TKUTKU』の動画はこちら

2017年4月にはるばるタイのバンコクから名古屋を経由し、伊丹市野間の当院まで陸路でタイの三輪タクシーTUKTUKがやってきました。

最近、日本でも時々見かけるとは思いますが、小児科にTUKTUKがあるのは日本全国、当院だけかも知れません。

カラフルで可愛らしく、そして珍しいでしょう〜後部座席に乗っての写真撮影はOKですので是非乗ってみてください。尚、運転席には絶対に近寄らない様、よろしくお願い致します。

イベントでは試乗会も行っています。次回は未定ですが、イベントの際は走るTUKTUKに乗って、乗り心地の良さや開放感、風の気持ちよさを体感してみてくださいね。

おの小児科はこうした医療以外のアミューズメントも小児科には必要と考えていて、これからも色々と子供たちが喜ぶ仕掛けを散りばめたいと考えています。兵庫県伊丹市にこんなオモロイ小児科があること、知っていて欲しいです!

予防接種の予約について


(1)ご希望日の3日前までにご予約下さい。
(2)2か月先までのご予約が可能です。
(3)必ず母子手帳を片手にお電話もしくはクリニック窓口でご予約下さい。

おもちゃはキッズスペース内で使ってください。



花粉症

冬の海の選び方



おの先生の休日2016秋 (2016年10月公開)



360度カメラ映像です。動画左上の白丸をクリックして色んな方向の映像をお楽しみ下さい。
スマホの方は、YouTubeのアプリでご覧ください。

おの先生の休日2016秋続編 (2016年10月公開)



360度カメラ映像です。動画左上の白丸をクリックして色んな方向の映像をお楽しみ下さい。
スマホの方は、YouTubeのアプリでご覧ください。

インフルエンザ予防接種値段発表 (2016年9月公開)

インフルエンザ予防接種2016 (2016年9月公開)


価格決定

緊急動画:はしかについて (2016年9月公開)



2006年から公費での接種が可能になっております。一人2回接種が必要です。
母子手帳をご確認の上、まだ接種が終わっていない方は至急ご連絡ください。

B型肝炎ワクチンの無料化について (2016年9月公開)

ご挨拶〜開院数ヶ月経って〜(2016年9月公開)



【おの小児科 小野 英一 より皆様へ】

皆さん、こんにちは、伊丹市の小児科、おの小児科の小野英一(おの えいいち)です。
数ある小児科のホームページの中から当院のホームページをご覧頂き、有難うございます。開院し、少しだけ落ち着きましたので文章でのご挨拶をさせて頂きます。本当に遅くなり申し訳ございません。

おの小児科は2015年11月に開院したばかりの小さな小児科、まだ開院して数か月ですが、3000人以上、延べ12000人以上のお子供たちを診察治療して参りました。 また肺炎や脱水、痙攣、不整脈など、具合の悪い子供たちは大きな病院へ素早く紹介、今まで約110名の子供たちが入院治療を経て元気になっています。 また予防接種や乳児健診は延べ約1300名の子供たちが当院で受けられています。 「おはよ〜先生」「じゃ〜ね〜ばいばい」「俺ね〜さっきな公園で遊んで来てん!」など友達感覚で接してくれる子供たちに癒され、私たちを頼ってお子さんを連れてきてくださるママやパパにはご期待を超えるご満足度を提供したいと常に思っています。

「全ては子供たちのために」をモットーに、日々、子供たちの診療に私を始め、スタッフ一丸となって全力で取り組んでいます。また、医療のみならず、子供たちやパパやママが喜ぶ、楽しむ、時には驚く事をどんどん取り入れて行きたいと考えています。 少しでも小児科を怖い場所だと子供たちに思って欲しくない、どこの小児科もどうせ同じやろとパパやママに思われたくない。いい意味で他とは違う小児科作りを続けていきたいと思います。
大きなテーマパークみたいな大掛かりな事は出来ないけれど、普通の小児科ではやらない様な「おもろい」事は子供を相手とする施設の一つとして、どんどんやってみたいと私は思っています。 今までにもオリジナルグッズの数々、病気の説明用の四コマ漫画、少しでも親近感をと思い作った似顔絵、子供が(というか私が)好きな熱帯魚や大型鉄道模型の導入、各種イベントの開催、伊丹小学校での夏祭り出店などなど、出来る限りの事はして参りました。実はまだ内緒の事が何個かあるのですが・・・お楽しみに!

くどい様ですが、私が言うのも何ですが、おの小児科、なかなか面白く、いい感じですよ〜。また、所在ですが、当院は尼崎の武庫之荘からも意外と近いです。地域医療に貢献するのは勿論ですが、伊丹市の少し離れた地区、尼崎市など近隣遠方問わず、お困りな際はお越しくださいね。
駐車場も他にはあまり例のない22台をご用意しています。勿論、全て、おの小児科専用の駐車場です。子供たちが最短距離で病気が治る事がもちろん一番大切です。最新最良の小児医療の提供と同時に、固定観念化された小児科クリニック像をどんどん違うものにして行きたいと考えています。
お子さんの事なら何でもオッケー、ご自宅で悩まず、是非お越しください。私はじめ、スタッフ一同、お子さんを全力でサポートします。引き続き、おの小児科をよろしくお願い致します。

2016年8月末、青色の診察室にて
おの小児科
 小野 英一

B型肝炎ワクチンの無料化について (2016年8月公開)



10月からB型肝炎ワクチンを公費で受けられるようになります。
生後2ヶ月から1歳まで、3回。 1回目と3回目までは139日あける必要があります。
以上の条件を満たす場合、公費で接種が可能です。
その他の方でも有料にはなりますが、随時接種可能です。
詳しくは、予防接種専用tel:072-773-6155までお問い合わせください。

 

ご挨拶 (2015年8月公開)

プロフェッショナル 仕事の流儀(2016年1月公開)

 

おの小児科のメリット (2015年8月公開)

 

やりましょう予防接種 (2015年9月公開)

 

おの小児科CM1 (2015年9月公開)

 

おの小児科CM2 (2015年9月公開)

おの小児科CM3 (2016年3月公開)

おの小児科CM4 (2016年3月公開)

おの小児科CM5 (2016年3月公開)

 

各種イベント (2015年9月公開)

 

インフルエンザ予防接種の案内 (2015年11月公開)

   

駐車場のご案内

 

院内たんけん

入口・マリンゾーン
 
受付・待合スペース
 
キッズスペース

小野先生

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