開業奮闘記

 いよいよ開院まで1か月となりました。ここに至るまでの道のりは、かならずしも平たんではなく山あり谷ありでした…そんな様子を開業までの1か月で紹介していきます。
 この日記を通しておの小児科への想いを感じてもらい、皆さまにとっても開院の日が楽しみになればと思います。

 

僕の開業日記1 ~さまよう自分~

 伊丹 おの小児科 悩む

2年ほど前から漠然と開業することを考えていました。 きっかけは何かと言われても、1つ、2つではない為、明確には答えられないけれど、「他とは違う、楽しい、面白い小児科を作ってみたい」「より多くの子供たちに出会い、彼らに友達感覚で接して欲しい」そう言った思いがつみかさなり、病院での勤務をやめる事にしました。

しかし、いざ開業の準備をしようとするものの、何をどのようにしたら良いのか、何一つ分かりませんでした。 インターネットで検索したり、すでに開業されている先生方にお話を聞いたり・・・そんな日々が続きました。そうした情報から開業の仕方には色々あり、色々な業種の方々がかかわる事も、なんとなく理解出来ました。 しかし、ここに至るまで、何か所も開業候補地が出ては消える、そしてまた出ては消える、そんな出口の見えない、なんとも言えない時間だけが過ぎていきました。

開業するという行為自体は、簡単なのかも知れませんが、それが自分らしいのか、自分のスタンスに合っているのか、それを考えると、決めかねる自分がいました。 普通は、開業地や開業時期が決まってから病院をやめるのでしょうが、私は退職することを先に決めていましたので、独立する時期や場所が明確にならなかった約半年は結構つらかったです。 今思えば、無鉄砲にも程があるな~と思う一方、自分らしいなとも思っています。

数名のコンサルタントの方々から開業候補地をご提案していただき、多くの場所へ出向きました。でも、色々と問題もあり、決まりそうで決まらない・・・最後は「2年後を視野にゆっくり探しませんか」というアドバイスもあり、 それ以降、コンサルタントの方々からの連絡も減ってきました。このままでは、向こう2年定職なし、アルバイト生活・・・しばらくどこかの病院にやとってもらわないとかな・・・妻1人、子供4人、本当に路頭に迷うかも・・・色々なことが自分にのしかかり、鈍感な私もさすがに精神的にもキツかったです。

そんな想いをしていた時、前から少し気になっていいた開業支援のインターネットサイトを思い出しました。明らかに他のコンサルタント会社や開業支援のホームページとは違う、異色の光を放っていました。 ご存じの通り、インターネットの世界には色々な誘惑や落とし穴があり、注意しないとその深みにはまってしまいます。「他とは違う」サイトは、その危険も当然考えないといけません。 気になっていたインターネットも、最初はアクセスしても良いのか、問い合わせをしても大丈夫か・・・だいぶ悩みました。

が、自分の今おかれた状況も冷静に考え、このままコンサルタントにお任せするだけでは何もかわらないし、何も起きないと思い、そのサイトに描かれている事を全て読み込んだのち、メールで問い合わせをしました。 今までですと、数日してから返信が来るのがフツーでしたが、今回はとても速い返信があり、何度かのメールのやり取りの後、実際にお会いすることとなりました。 福岡から来られた新しいコンサルタントの方との出会いで、霧や雲の中をさまよっていた様な自分の前が、急に明るくなったことを覚えています。


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僕の開業日記2 ~衝撃と共感~

 伊丹 おの小児科 悩む    

秘書さんを連れて現れたその小副川さんというコンサルタントの方と西宮市内の喫茶店に向かいました。お会いして、自己紹介して名刺交換して…  が今までのパターンでしたが、「名刺切らしてますんで」で始まり、すぐさま、コンビニで買われたと思われるノートをとりだし、おもむろに図を書き話し出しました。 明らかに他の方とは違うスタンスに驚いたと同時にワクワクする自分が居ました。

   

「え~と、クリニックというのはですね…」「患者さんやお母さんは、○○を求めておられるわけですから…」「先生の価値観、仕事観が大切でして…」   「他のクリニックと同じことをやっても意味がありません。実はですね…」など
  私の希望など聞き出して、物件を紹介して…というこれまでのパターンとは全く違う「レクチャー」が喫茶店の片隅で約1時間程度続きました。その内容はここでは公表しませんが、よくあるクリニック開業の仕方とは180度違うもので、おそらく多くのドクターは少し躊躇し、戸惑うのではないかと思います。でも、私は「人と同じがどこかイヤだ」「同じであることが正しいって変」などと天邪鬼なものですから、彼の切り口、考え方、計画の仕方に衝撃を受けたと同時に共感することが多く、全てをお任せしようと決めました。

   

しばらくして、「ホームページにも書いてあるので、お分かりだと思いますが、先生ご自身で色々なワークをしてもらいます。」「クリニックは自己表現の場ですから、まずは先生ご自身で、ご自身の事を棚おろししてください。」と言われ、今まで歩んできた人生で得た価値観、仕事観を整理し、それらを元にクリニックの理念を作るよう宿題を頂戴し、この日の面会は終了しました。

   

この場所は人通りも多く…、競合クリニックは○m先でして…、子供の人数がここは多くあそこは少なくて…、テナントの賃料は月○円ですから…といった面会内容がほとんどだったので、今回も同じ様な話でスタートするものとばかり思っていました。が、それは全く違っていて、テナントの資料や料金表、人口統計表や診療圏調査報告書などは一切渡されず、手書きの図などが書かれたノート1冊をいただき家路につきました。それを見た妻が「え?大丈夫?」と一瞬不安そうな顔をしましたが、一連の出来事を私から聞いた後は「あなたに合ってるんじゃない?普通はイヤな人でしょ」と言ってくれました。こうして、妻の了解?も得て、私の開業準備が始まりました。

つづく


僕の開業日記3 ~自分の棚卸し~

 伊丹 おの小児科 悩む    

そもそも、自分ってどんな人間なのだろうか、どんな人生で何を良しとし、何を良しとしないのか、どうして医者になったのか、子供を診る道を選んだのか… どうしてクリニックを作ろうと思ったのか、どんなクリニックにしたいのか、何が求められているのか…自分のスタンス、いわゆる価値観、それに基づく仕事観や広くは人生観…正直、深く考えたことはなかったです。

どういう事を子供たちやお父さんお母さん達が求めていて、何をするのが良いのかは、今まで何度も考えたことはありましたが、正直、組織の中で実現できる事は数少なく、結局のところ、フツーの事しか出来ませんでした。 今回、自らでクリニックを立ち上げるにあたり、ニーズもしっかり見すえたうえで、私自身のカラーも全面的に出したいという結構難しい目標をかかげました。

私は自分というものを人よりは明確に持っているはずなのに、こうした自分に関する、そして、クリニックに関する抽象的なワークは、結構大変でした。どうすれば「自分」というものをまとめ、そして表現できるのか、どうすれば自分が思う「クリニック」の姿をまとめ、皆さんにお伝えすることが出来るのか…頭の中にはフレーズもあり、すでに答えは出ているハズ…でもそれを表現出来ない。色々と考えても時間だけが過ぎ、ワーク〆切の期日を何度も変更してもらいました。頭の中を整理し、人へ伝えるために…行きついた先は、やはり「書く」「書き出す」という作業でした。

昔から万年筆で字を書いたり、文章を書いたりすることが好きでした。その頃ならすぐに「書く」という作業にうつれたハズなのに、デジタル化された環境に長い時間居ると、その事すら忘れてしまう。とてもつまらなく、おそろしい事だと思いました。大げさに聞こえますが…。 頭の中にあるランダムに出てくるキーワードをとにかく書き出す。そして共通点をみつけグループ化する。そのグループ同士には、共通点はないのか…など、万年筆、ボールペン、色鉛筆などなどで書き出した言葉、文をながめる日々が続く様になりました。マインドマップというものですが、そこまで本格的なものではありません。結果、一つの文言に行きつきました。べたやな~、フツーやんと言われそうですが、結果はそう見えても、自分が自分を整理して出てきた言葉なので、軽い言葉ではないと自分では思っています。

「すべてはこどもたちのために」

動画YouTubeでも少し説明しましたが、このベタな文言には色々な意味合いが含まれています。歌の歌詞には色々な意味が含まれていると聞きます。映画のワンシーンもいろいろな解釈ができるように作られていると聞きます。そんな格好の良いものではないけれど、この「すべてはこどものたちのために」を自分の、そしてクリニックの「理念」とし、開業するためのハード・ソフト作りの核にしようと決めました。 「理念」って何?そんなんいらんやろ…って病院で仕事をしていた時は思っていましたが、この「理念」こそが、クリニック、病院(その他の企業でも)において一番大事なんだと今は思っています。

つづく



僕の開業日記4 ~すべてはこどもたちのために①~

   

自分の棚卸しと同時進行で、実際のクリニックの場所の選定も始まりました。私は兵庫県三田市の病院で、比較的長い間働いていましたので、本来なら三田市やその周辺で開業するのが、今まで診てきた子ども達や保護者の方々には喜ばれるのでしょうね。

ですが、天邪鬼な性格のためか、私は前任地周辺で開業することは一切考えておらず、伊丹、宝塚、西宮、芦屋、神戸、遠くは明石まで、今まで数多くの場所を見てきました。 色々な問題があり、結局何も決まらなかった私に、コンサルタント小副川さんは、3~4か所の候補地を示してくれました。それぞれの場所にどんな特徴があるのか、どうしてそこが良いのかなど全てを彼からお聞きしましたが、その内容はおそらく企業秘密なので、ここでは触れない事にしておきます。

どれも魅力的な場所でしたが、全ての場所にクリニックを…なんて無理なわけで、総合的に判断した結果、兵庫県伊丹市野間3丁目に大きな駐車場を併設した少し広めの小児科を造ろうということになりました。サラッと書いていますが、決定までには、コンサルタントのみならず、地主さん、建設会社の方、自治体の方など、数多くの方々のご協力がありました。小さなクリニック一つを造るのに、これほどまで多くの方々がかかわる事に、私はびっくりしました。

場所を探し始めて約1年、こうして伊丹市野間で小児科クリニック建築が正式に始まったのは、今年の6月下旬の事でした。

つづく



僕の開業日記5 ~すべてはこどもたちのために②~

 

場所が決まれば、次はどのような建物にし、内部をどうするか、建築会社の方、設計事務所の方と、打合せをすることになります。建築会社は伊丹市、設計事務所は京都市にあります。 主に伊丹の建築会社事務所で打合せをしましたが、何度もメールのやりとりをし、自分の思う「小児科」を形にしてもらうべく、色々とリクエストをしました。

 伊丹 おの小児科 面会

一貫して思っていたことは、

  • 他のクリニックがやらない事をやろう
  • 子どもがよろこぶ内装にしよう   
  • 子どもが嫌がらない、そんな仕掛けを
  • 連れてくるお父さん、お母さんにも楽しんでもらおう
  • 建設会社、設計事務所にもやった事のない事をやって欲しい

でした。それは、私が苦労して、自分の頭の中から出した理念「すべてはこどもたちのために」をハード面でも実現したいという思いからのリクエストでした。

勿論、予算とのかね合いで、東京や大阪のテーマパークの様にはいかないけれど、全国見渡しても、そうなかなかないクリニックになったのではと自分では思っています。

「すべてはこどもたちのために」と言いながら、一番楽しんでいるのは私なのでしょうけれど… 

つづく



僕の開業日記6 ~面会、見積、そして面会~

 伊丹 おの小児科 面会

クリニックは他の事業同様、多くの設備が必要となります。勿論、それ相当の資金も必要なわけで、銀行からの融資が不可欠となります。

自分の預貯金、口座のお金の流れ、借金の種類と総額、クリニックの事業計画など、あらゆるお金に関する情報を銀行に提出する必要がありました。 一昔前より、銀行もあまりお金を貸してくれないと聞いていましたので、融資が決定するまでは妻と一緒にドキドキしたものです。

大阪に本店があるその銀行に何度か面接に通い、その後に行われた銀行の幹部会で融資が決定となりました。その連絡をうけた時は、もちろんうれしかったのですが、 それと同時に大きな借金をかかえる重圧もしっかり感じたことを覚えています。

それからと言うと、設備をはじめとした会社の方々との面会、その設備の見積を見ての交渉がほぼ毎日続きました。予約システムの会社、レントゲンや超音波装置の会社、 電子カルテの会社、リース会社、フィルム会社、薬局、「遊び」をつくりだしてくれた会社…雑誌編集の会社、広告宣伝業者さんなどなど、本当に多くの方々と話し合いをしました。

もともとそれほど人付き合いが得意でない私は、最初の頃は正直苦痛でしたね。でも、「おの小児科」の要望に、商品の面でも価格の面でも真剣に取り組んでくれた会社の方々に助けられ、 徐々に面会、見積、そして面会にも慣れ、今は少し人と会い話をする事が好きになり、上手になったかもしれません。

本当にバタバタして大変だったけれど、何かを決めて動く時は結局「人」なんだなと思いましたし、契約の最終的な決め手は、価格ではなく「人柄」なんだなとも思いました。 こうしてクリニックのハードが徐々に整っていきました。

つづく



僕の開業日記7 ~人を雇うという事~

 伊丹 おの小児科 看護師

何でもそうですが、建物がいくら立派でも、内装がどれだけきれいでも、そこに居る自分を含めた「人」が一番大切だと思います。

責任者の自分の立ちふるまいが一番大切なのですが、それと同時にスタッフが私のクリニック像に共感してくれ、楽しく気持ち良く、そして長く働いてくれる事が、 強いては「すべてはこどもたちのために」のつながると信じています。

私はずっと誰かに雇われて仕事をしてきましたので、人を雇うという経験は全くありませんでした。どういう点に注意し人を見て、雇うか雇わないかを決めたら良いのか… 入口も分かりません。これは、もちろん、初めて事業をする事業主が思い悩む事なんだろうと思いますし、結局、クリニックにとって一番大切なことなんだとも思っています。

自分もスタッフも、楽しく気楽にそして快適に働く事ができる、そんな環境を提供したいと思うし、スタッフにもそんな雰囲気を作り出してほしいと考えています。 リビングの折込広告、アイデムへの掲載、ホームページでの広告などを皮切りに、スタッフ募集が始まりました。

今、どこも人材不足と聞いていますが、おの小児科もその例外にはならず、中々、スタッフが決まらずに苦労しました。(今も苦労してはいますが) その様な中、私の想いに共感してくれた数名のスタッフが、大阪難波で行われた少々変わった面接を経て、一緒に働いてくれる事が決まりました。

基本、私の性格や行動の仕方や思考回路を十分分かってくれ「はいはい先生、〇〇したいんでしょ?」「〇〇しておきましたからね」と手のひらで私を転がしてくれる有能な方々 ばかりだと思っています。きっと私は一生「院長」と呼ばれると蕁麻疹が出るでしょうから、「先生~」と呼んでくれるフランクなスタッフで居てくれたらなと思いますし、多方向から 私をサポートして欲しいと頼りにしています。

人を雇うという事に正解はないのだろうけれど、ある程度の節度ある距離感は保ちながらも、決して単なる上下関係になる事なく、全員野球で、日々子どもたちにとって 最高の医療を提供できたらな、なんて考えています。 そんな明るいスタッフに囲まれて、私は幸せだと思いますね。

オープン前後はバタバタし、冬は冬で忙しいとは思うけれど、スタッフ一丸となって、子どもたちのために精一杯力を発揮し、おの小児科を動かしていきたいと思っています。 尚、ひきつづき、スタッフは募集していますので、ご興味のある方は是非一緒に働きませんか?

詳しくは、求人ページをご覧ください。

 

つづく


僕の開業日記8 ~見えない圧~

 伊丹 おの小児科 圧

田畑だった場所が整地され、コンクリートの基礎が出来ました。鉄骨で建物の骨組みが出来、屋根、外壁、そして内部の間仕切り、もの凄いスピードで工事が進みました。 私が希望した開業時期に完成するかしないか、ギリギリでしたが、建設会社の方から最後にこう言われました。まあ、厳しいは厳しいですが、工期は守りますよ、と。 土日祝日、連休関係なく続く工事のおかげで、言われた通りの工事日程で建設が進みました。現場はかなりの暑さで本当に大変だったと思いますが、プロのお仕事をここでも見る事が出来ました。

建物がなかった頃は、面談や会議をしてもどこか他人事の様な感覚で、あまり実感は湧きませんでした。しかし、外壁が出来、現場に囲いがされた頃から急に自分の事なんやなと実感し、 それと同時に目に見えない圧を感じる様になりました。私は楽観的で考える前に行動する、行動してから問題点は修正する、そんなタイプの人間です。その性格の為か、今までに何度かあったであろうピンチにも鈍感で、あまり圧、ストレスを感じる事はなかったと思います。 が、今回はどうも違う様です。目に見えない圧力やストレスだけではなく、漠然とした焦りや不安を覚え、耳が鳴ったり、胃酸が込み上げたり、変な夢に夜中起こされ眠れなかったり、体を四方八方から何かに押され息苦しくなったり。。 初めての体験を数多くしました。最近はだいぶマシですが、繊細な経営者の方々はもっとしんどい思いをしているのかと思うとゾッとします。

よく開業いいな~羨ましい、とか、開業おめでとう、とか、院長って凄い!など言われますが、正直共感は今は出来ません。きっと、私の選択は私にとっても家族にとっても、近隣の子ども達にとっても正解なんだろうけれど、 今はまだ現実と見えない圧に挟まれて楽観的な本来の自分ではない気がしています。 これもレアな経験として楽しもうとは思いますが。そんな日々で夏は終わり、秋に向かいます。

つづく


僕の開業日記9 ~本当に同じ?~

 伊丹 おの小児科 時計

10月に入った瞬間、時間の流れが急に激流の様になりました。本当に同じ24時間なのかと疑うくらい。忙しくバタバタする事は性格上、苦手でも嫌いでもありませんが、ここ数年は比較的穏やかな生活を送っていたためか、この10月の変化に最初は戸惑い、ついて行けませんでした。 朝早くからクリニックに行き、納品、設置、面談、契約、発注そして納品、設置と続きます。気づくと空は暗くなり、キリがないと割り切り家路に着く、お酒を飲んで知らない間に寝る、そして早朝に目が覚める。 そんな毎日、いくら準備しても次々と用事や課題や問題が出る、解決してもまた新たな問題が出る、ゴールのない作業が続きました。ハムスターがゲージの中で永遠と走ってる姿に似てるかな。。事業を立ち上げる方々の大変さを体感した意味では貴重な経験ではあります。

一番大切で、かつ、難しいのが、やはり人ですね。物を契約したり納品後に設置するなどは忙しいですが、ある意味、単純作業ですので、慣れれば何とでもなりました。ですが、人は違います。 言わずとも先々と提案し実行する人も居れば、細かな指示の後に忠実に動く人、楽観的な人も居れば心配性の人も居る。仕事を自分の中で何処に位置付けているのかも人それぞれ違います。 だから人は面白いのだろうけれど、同じ目的や目標を持ち、同じテンション、スピードで進む事は至難の技なんだと私は思いました。ですが、小さなクリニックの小さな集団です。私も含めた全員野球、働く事も楽しい、そんなクリニックにしたいと考えています。 それをある程度作りあげるにも正直、時間が足りませんね。オープンまでに作り上げる必要はないのかも知れないけれど。

そんなこんなで、10月の記憶はあまりありません。気づけば明日は内覧会の様です。薬局の方に、先生、11月なんて直ぐですよ、と今年の春に言われました。ホンマかいなと思っていましたが、言われた通り、あっと言う間に内覧会、そしてオープンを迎えそうです。 決して十分な準備でもないし、スタッフ不足はじめ課題は山積みです。ですが、最後はやはり楽観的に行きます!不安だ心配だ、難しい、出来ない、なんてマイナスな事ばかり考えたり言ったって、正直、何も始まらないし、何の発展もない。 その考え方は変えるつもりもないし、スタッフにも分かって欲しい、院長はそういうタイプの人間だと。 先ずはとりあえずやってみよう、やってから考えたらいいやん、のいつもの自分で11月からも自然体で居たいと思っています。あ、明日の内覧会の資料、作り忘れてる!時間が足らないのではなく、後回し後回しにした自分のせいですね~

2015年10月24日記
つづく


僕の開業日記10 ~離陸~

 伊丹 おの小児科 時計

どんな高性能なジェット機でも最初は細かな問題が必ずあります。それを一つずつ潰していくと飛行機はどんどん引き締まり、本来の実力を発揮するんですね。 この作業はパイロットにとって一番大切だと思うんです。ある大手航空会社のベテランパイロットのお言葉です。

どんな事業もそうだと思いますが、小さなクリニックの立ち上げや一連の業務、接遇、スタッフ連携などなど、クリニックでも同じ事が言えると思っています。 いくら全力で準備しても必ず細かな問題は絶えずあります。私は院長というほどの人間ではないけれど、クリニックの責任者として、数多くあるであろう細かな課題を一つずつ潰し、 色々な意味で引き締まったクリニックにしたいと思います。

内覧会、300名近い方々に来て頂けました。本当に有難い事です。皆さんが内覧会で実際に見た おの小児科 をどうお感じになられたか、 またお聞きしたいと思います。準備に追われる毎日を過ごしていた私やスタッフも、皆さんとお会いした事で11月のオープンを実感しました。

あと一週間、最終の準備に入ります。まだまだチェックしないといけない事が山盛りありますし、出会ったばかりのスタッフに私の考え方を分かってもらい、 おの小児科の心臓部分として各自、実力を発揮して欲しいとも思っています。

全ては子どもたちのために

色々な課題も問題も出てきますし、皆さんからのご意見、ご要望も出てくるでしょう。完璧は難しいし、完璧である必要もないと思っていますが、 可能な限り、課題や問題は一つずつ潰し、リクエストには何らかの形でお応えしたいと思います。

最後までお読み頂き、有難うございました。やっとスタート地点に立てました。他にも奮闘記に書きたい事は山ほどありますが、 またそれはお会いした際の雑談の中で!
11月2日、おの小児科、離陸致します。安全飛行の為、最善のメンテナンス中、今しばらくお待ち下さい。
皆さんにとって、リラックス出来る、楽しい面白い、そして頼りになるクリニックでありますように。

おの小児科  
小野 英一  


小野先生

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